欲望を刺激するデザイン、そして庭

欲望を刺激するデザイン、そして庭

世の中にはデザインがあふれています。
売れるデザイン売れないデザイン、日本はデザインが弱いから強くしようなんて声も多いですね。
デザインの語源は、デ(否定)+サイン(共通認識)=非常識であり、常識を壊して新しいものを作るという説があるそうです。
新しいものを作るのがデザインなのか?と聞かれると、半分正解で半分間違いです。「次の常識になるほどの新しい魅力を作る」ことがデザインの本質だと思います。
既存の常識やいいねをぶち壊して、新しい常識に書き換えるほどの破壊的な魅力が必要です。

僕は、天邪鬼です。
そして、恐ろしく空気を読みません。そして、馬鹿です。
学校とか会社とか組織とかには馴染めないのが僕です。社会人としてはかなり不適合な人格の持ち主だと思います。常識が嫌いで、人に言われたことをするのが嫌で、自分がいいと思ったことをしたいのが僕で、集団に属していた時はかなり大変でした。皆にも迷惑をかけたと思います。ごめんなさい。
そんな僕ですが、名古屋芸術大学でデザインを学んでいました。常に新しいこと世の中には無い物を要求されます。集団に属しているのに、まったく天邪鬼由来のストレスを感じない唯一の時期でした。
天邪鬼でよかったことは、時代の価値観が大きく変革する時代には役に立つって事です。
いい感じに表現すると、みんながいいねって思ってる事とは、別のいいねを探す能力があるって事です。

そんな僕ですが卒業し、日本庭園の職人として修行の道に入り、日本庭園を極めるべく頑張っていました。
この世界は、過去の大天才が作った作品があり、それをまた選りすぐりの職人が育て続けて現代に残っている。
そこが目指すべきゴールであり、そこが答えです。
過去の天才が自分が感動できる新しい世界を追及した結果の作品を、凡人が真似したところで劣化コピーしか産出すことはできません。
そしてこの行為は、天邪鬼な自分と性質が合いません。

先人の技術や思考のレベルは頂が見えないほど遥かな高みにありますが、この世でもっとも重要なのはそれがもたらす「豊かさ」です。
時代背景が変われば、「豊かさ」の定義が変わります。
過去に完成されてしまった文化体系では、時代の変化に取り残される。
現代において昔の人が楽しみにしていた事は、あまり魅力的でないことが多いです。
原点を学び歴史を知っていることは重要ですが、守破離って言葉があるように、さっさと捨てて次に行けと先人が口酸っぱく何度も説いています。
「豊かさ」は常に変化し続ける。
なぜなら、豊かさを感じるための前提条件が社会変化によって常に変わるから。
そして、人間は慣れるし飽きる。
庭に求められる本質とは、「贅沢」を所有したいという欲求です。灯篭があることは贅沢ではない。立派な松があることが贅沢ではない。贅沢を所有して豊な人生を送りたいという、願いを叶えるのが庭師の使命です。

難しい話をしだすといくらでもあるけど、最も大事なものは、欲望を刺激するような「魅力」です。
心を掴んで離さない圧倒的な握力を持った「魅力」です。希少価値がある魅力が、贅沢の重要な構成要素だからです。
庭における魅力を、常識を捨てたフラットな視点から見つめ直す。
業界の外にいる人から見れば簡単な話だと思いますが、長年染み付いた思考法や手癖を取り除くのはかなり大変な作業です。
デザインと庭は無関係だと思っていた自分がいますが、既存の価値観が崩壊する貴重な時に居合わせた幸運を掴むためには、庭の世界をデザインという道具で再構築する必要があります。
先の見えない手探りの作業ですが、自分の心を揺さぶる心の動きが唯一の指針であり、みんなが「イイネ」してしまう新しい魅力を追求することだろうなと考えています。
その先に未来の日本庭園があるのかな。

庭屋六花 中川茂樹