自然と人、そしてにわ

自然と人、そしてにわ

庭について自分が考えていることを、少しでも発信していかなければいけないのではないかとの想いから、慣れないながらにわのブログを書いていこうかと思います。乱雑な所やキャラが定まっていない文体などありますが、再来年ぐらいには安定させようかと思いますのでしばしお付き合いください。

庭についての考え方は色々あります。僕が考える庭の本質は、自然と人間の距離感です。そして、庭とは距離感を表現したものとなります。なんだか難しいはなしですが、宮崎駿のラピュタと同じような事です。人間は大地から離れては生きていけない(うるおぼえごめんなさい)ってセリフがありましたが、人間の本能は自然を求めています。リゾート地は自然豊かな所ばかりで、安らぎたい時には木陰が最高です。現代において自然は貴重で大切なものです。ハンモックに揺られて過ごす時間は、まさに至福のときですね。

現代の話だけではわかりにくいので昔の庭を考えると、自然を「征服」することが世界共通の大きなテーマでした。西洋は、ベルサイユ宮殿の庭のように整形式庭園で、中東なら水を豊富に使った庭や、平安時代の日本庭園は植物を一切排除する空間を作ったりしていました。昔は、自然から富を得ていましたが、同時に制御できない荒ぶるものでもありました。自然を制するものは王者であり、負けた権力者は王座を追われました。だからこそ、昔の偉い人は権力の象徴として庭を求め、自然を征服する庭を作りました。そして社会が発展し、平和や豊かさが安定してもたらされると、江戸時代の哲学的な庭やイギリスの自然式庭園などが流行するようになります。

話を現代に戻すと、自然は大切で貴重なものであり自然を「所有」することがステータスになります。今の雑木を多用したスタイルの庭が流行するのも、時代の必然です。今そして未来の庭における大きなテーマは、いかに自然から豊かさを得ることができるのかになるでしょう。人工的な快適や利便性はあって当然になった時代において、最後の求める贅沢は貴重になってしまった自然です。

いま考えなければならないことは、自然とは豊かさとは何であるのかとういことです。自然とは何であるのかがわかれば、そこから得られる豊かさがわかり、自分との距離がわかります。自然を抽象表現する日本庭園様式は廃れましたが、培ってきた自然を扱う技術や美意識は、距離感の表現には必要な資質です。日本の四季や風土に根ざした、新しい庭園文化のを作りたい。その礎の一つになれればと想い、明日もがんばっていきます。

個人的な蛇足 ここからは、チラシの裏程度のお話です。
今の雑木の庭様式は、禅的な枯れた表現方法は素晴らしいのですが物足りないと感じます。海外の庭を見ると、活用法に力をいれてます。そこで何が体験できるのか、そこでどんなしあわせな時間が過ごせるのかが明確に伝わります。表現+体験として様式を確立できれば、世界に通用する新たな日本庭園として次の成功を掴めるだろうと思います。